(2019/02/06)
一昨年と昨年の夏に足摺岬のジョン万次郎(1827年~1898年(明治31年)71歳没)ゆかりの地を訪れた。
万次郎は1827年、現在の高知県土佐清水市中浜で貧しい半農半漁の家の次男として生まれた。9歳で父親を亡くし家族を養うため生活に追われる年少の漁師だった。遭難や偶然・運命に翻弄されながらも日本を支える栄達に成長していく姿はいつ思い出しても、我々に力を与えてくれる。その息遣いを求めて生家跡などに行ってみた。生家跡はごく普通のお家だった。(現在も人が住んでおられるようです。)
ジョンハウランド号の模型
(ジョン万次郎記念館)
復元された生家
1841年14歳の時、高知県の宇佐沖で漁中に嵐で遭難、伊豆諸島の鳥島に漂着、無人島生活の143日間を生き延びアメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号に拾われた。持ち前の旺盛な好奇心や知識欲と礼儀正しくきびきびした人に好かれる性格で、船上における人の何倍もの働きが認められ、どんどん知識・技術を吸収していった。日本は鎖国状態で英語を身に着けているものはいなかったが、1851年、万次郎が日本に戻った時、その英語(他に測量・造船・航海の技術)がどうしても必要な時代になっており、引っ張りだこになったのである。(1853年黒船来航)黒潮洗う太平洋に面する地で生まれ育ったからこそ、大海の向こうの世界を目指すフロンティア精神が育まれて行ったのではないだろうか?
黒潮洗う生家近くの
臼ばえ海岸1841
(医局長 佐々木 徹)